「テヅカ・イズ・デッド」から「ゲーム的リアリズムの誕生」へ

実習中は定時くらいで退社できるので、その後朝日カルチャーセンターに向かった。受講料があまりにも高過ぎてチンチンだったけど、なかなか良いイベントだったと思います。伊藤剛が相変わらず男前でいいですねー。
内容については、「伊藤は図に基づいてキャラクターを論じ、東は物語の消費環境に基づいて論じている」という違いが明らかにさせられていたので、話が分かりやすかったですね*1。あと、それぞれの議論が示せる限界がどうなってるかみたいな話が出たのも良かったかと。
キャラクターというものが非常に多くの側面を持っていることが改めて浮き彫りになったわけですが、それはつまり我々が「キャラクター」の一言であまりにも多くのことを指してるということでもあると。そうすると、この状況下では伊藤先生の導入した「キャラクター」と「キャラ」って概念の命名がコンフュージング過ぎると思うんですがなんとかならんものかなぁ。やっぱり名付けなおすとか。藍蘭島を「らんらんとう」と覚え違いするより、キャラとキャラクターがごっちゃになることの方がありそうだし*2

*1:こういった違いがあるものの、何で評論してるのかっていう動機に関しては、「歳を取ると素直に楽しめなくなる漫画とかラノベが出てくるから、主題以外で評価する基準を確立したい」という思いが両者共通していたという話も出た。僕は素直に楽しめるうちにエロ漫画を色々読もうと思います。

*2:ということを質疑応答が行われてる時に思いついてちょっと聞いてみたかったけど、進行の都合上質問は1つだけでお終いでした。